2017年10月31日に出版した「絶望への処方箋」。
対談させていただいたのが、同じ”障害者”社長の「恩田聖敬(おんださとし)」さんでした。
恩田さんは、もともと健常者でした。
2014年4月、
Jリーグ・FC岐阜の運営会社である株式会社岐阜フットボールクラブの代表取締役に就任。
Jリーグ史上最年少の社長として、経営にも、チームの再建にも尽力されました。
そんな状況の中、
2015年1月、筋萎縮性側索硬化症 (ALS) を発症していることを公表されました。
(新聞にて、2014年5月に医師から告知された、と告白しています。)
そして、志半ばに社長を辞任されました。
症状の進行の早い「ALS」。
だんだんと動かなくなるからだ。
少しずつ話しにくくなる口。
恩田さんには、奥さんも、子どももいます。
「家族に、もう一度、働いている姿を見せたい」
そうして、恩田さんは大学の後輩と一緒に、また自分で会社を立ち上げました。
恩田聖敬さんに初めてお会いしたのは、今から2年前の2016年1月末ごろ。
「佐藤仙務」の新聞記事を見つけた奥様が「会ってみたら?」と勧めてくださったのがきっかけで
恩田さんが事務所にお越しくださいました。
この時、「佐藤社長に会社の話を聞きたい」と言われました。
難病であっても起業し、働く佐藤さんと話をしてみたくなったのだそうです。
この時、恩田さんが話していることの4割はわかりました。
(2016年1月末、最初にお会いした時の写真)
もともと五体満足で生まれてきた恩田さん。
それが、ものすごい早さでできないことが増えていく。
ここ3~4年で、食べれない、喋れない、体も動かなくなって、と坂道を転がり落ちる状況。
今では、恩田さんは佐藤さんより重い症状になってしまいました。
本の対談の時、恩田さんはうまく話せる状態ではありませんでした。
話している内容の1割〜2割がわかる程度で、
ほとんどを秘書の通訳を通して対談をさせてもらいました。
(2017年 月刊誌致知のみなさんと一緒に)
対して、
佐藤さんは、生まれつきの難病。
新聞やテレビを見た方々から
「勇気をもらった」「元気をもらった」と言ってもらっているけれど、
当事者である佐藤さんは「どんな感情でその気持ちが生まれるのか?」わかりませんでした。
正直いうと、「僕(佐藤)がメディアに出ることに何の価値があるんだろう?」と思っていました。
別に、みんなに勇気を与えるためにしているわけではない。
でも、見てくれた人からは「勇気や元気をもらえた」と言ってもらえる。
では、「自分の行動に何の意味があるのか?」と思っていました。
しかし、年末あたりから
親指だけは動いていた「右手が動かない状態」になりつつあります。
以前だったら、
動かなくなっていくからだに対して「もっと落ち込んでいた」と言います。
しかし、恩田さんと出会った今だからこそ「前を向こう」と思えるようになりました。
恩田さんと出会って、対談して、本を出したことが、
人生の中でいいターニングポイントになりました。
恩田さんの「ないものをねだらず、前を向いている姿」を見たら
「自分なんて、まだまだ青いな」と感じました。
恩田さんから、いろんなことを学びました。
恩田さんの姿を見て、「勇気や元気をもらえる」というのは「これか!」と思えました。
「人が元気になる源は何か?」「元気、勇気、励ましの源とは何か?」
それは、「人生観を変えてくれた出来事」に出会うかどうか、なのだと。
佐藤さんは自分が思っている以上に、
「人に影響を与えていたんだ」と実感することができたのです。
恩田さんから「前へ向く力」、そして「人に勇気を与える重要さ」を教えてもらいました。
だから、右手が動かなくなる状態でも、
今も「前を向く」のです。
佐藤仙務
(文章:朝倉美保)