昨日の話ですが、NHK名古屋から取材を受けました。
ちなみに今回の取材対象は私ではなく、中日新聞社の三浦耕喜記者です。
三浦記者とのご縁は、
サーカーJリーグクラブFC岐阜の前社長である、
恩田聖敬さんと一緒に対談本を出版したことがすべての始まり。
2人の障がい者社長が語る絶望への処方箋 | 左右社
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もともと、三浦記者と恩田さんはお知り合いなのだそうで、
今回、三浦記者がこの対談本を通じて、私のことを知ってくださったことがきっかけです。
最初にお会いしたのが昨年12月。
(初めて仙拓事務所にお越しいただいたときの三浦記者)
話を聞くと、花形の政治部記者だったという三浦記者。
3・11直後からの激務と過労により鬱病を発症、半年間の休職を余儀なくされ、
その後、復職を果たすも、母親の認知症と要介護認定の父親の「ダブル介護」に直面されたとのこと。
更には、パーキンソン病を患っていることも加わり、
世にも珍しい、三つの「わけあり」を抱える「わけあり記者」として、
現在、活動をされています。
そして、そんな三浦記者から、
「ぜひ、仙拓を中日新聞で連載記事にしたい!」というご提案をもらい、
2018年1月8日、15日、22日の三回にわたって、中日新聞(東京新聞)で記事を書いて下さりました。
東京新聞・中日新聞(2018年1月8日)
東京新聞・中日新聞(2018年1月15日)
東京新聞・中日新聞(2018年1月22日)
テーマは”弱者を戦力に”
まさに今、世間で注目されつつある障がい者雇用の本質を問う内容です。
そして、仙拓の代表である私やスタッフの働き方に焦点を当てた記事になっておりますが、
三浦記者も同じ障がい者当事者ということで、記事内の言葉一つ一つに熱がこもっていています。
そして昨日、連載が終わった報告と掲載記事を持って、
NHK名古屋のクルーと一緒に、ふたたび仙拓事務所までお越しくださりました。
今回の記事を通して、三浦記者が本当に言いたかったことは、
健常者は障がい者を勝手に「弱者」と分類し、無意識に差別していないのだろうか、ということでしょう。
人にはそれぞれの役割があって、
与えられた場所で一生懸命働くことが大切なのです。
障がい者=弱者=可哀想
という図式は、もう時代遅れで、
きっと私たちが真に目指すべき社会というのは、
「弱者を支え合う社会」ではなく、「弱者を生み出さない社会」なのかもしれません。