佐藤仙務が有名になりたかった本当のワケ

【2016年 佐藤仙務・安倍昭恵氏 福祉ふれあい対談】

株式会社仙拓 代表取締役社長 佐藤仙務(ひさむ)さん
内閣総理大臣 安倍晋三氏の夫人 安倍昭恵さん

下記の文章はお二人の対談内容から引用および抜粋しています。


お二人の出会いはFacebook。

昭恵さんのことをよく知らずに、農業をしている写真を見て「農業のスペシャリスト?」と思いながらもフォロワー数の多さに「ただ者ではない」と思いつつ、メッセージを送られた佐藤仙務さん。メッセージを送ってから、安倍総理の夫人と気づき、その後、自己紹介を兼ねて著書をお送りしたそうです。そこから交流が始まり、株式会社仙拓で名刺を作っていただいたり、対談をしたりするようになりました。

11149721_10153229387756779_1709506819064988063_o.jpg

(二人が初めてお会いした首相公邸での様子)

2016年。この「ふれあい対談」の前の3〜7月に、体調が悪化し入院することになった佐藤さん。4ヶ月入院の間、3ヶ月間声が出ない状況でした。意識が朦朧とする中、対談のために話せなくなる手術を拒む佐藤さん。手術をしても声が元に戻るか保証がないことに不安を持っていた時、医師から「命が一番大事だよね?」と言われながらも、声にこだわって頑張り続けました。

そして、声が出るようになって実現した、「寝たきり社長」の佐藤さんと昭恵さんとの対談。
その中で、なぜ佐藤さんが「東海市ふるさと大使」になりたかったのか、が語られていました。

15288433_1171873302907748_5000318163745998274_o.jpg
(2016年・安倍昭恵氏と福祉ふれあい対談講演)

仙務さんは、3番目の子どもとして生まれてきました。年上の兄2人は健常者。お母さんも、10ヶ月での障害告知に頭が真っ白になったと言います。5歳〜10歳までの余命宣告に「どうやって育てようか」というよりかは「自分より先に見送ることになる」ということにショックを隠せなかったそうです。それからは冬になると毎年風邪をひく仙務さんに、死を覚悟しながら過ごしていました。
お母さんは、余命のことを知られるのが怖くて、仙務さんには障害名を言えずにいました。しかし、仙務さんは「自分の病名を知らない、っておかしいな」と思い、中学生の頃、友人に聞いたり、インターネットで調べたりして、自分のことについて知りました。
5歳〜10歳までの余命、と書かれていたけれど、仙務さんはもう中学生になっていました。このとき、「いま、延長戦に入っているんだろうな」、「生きている」こと自体が「幸せなこと」、と思えたそうです。

IMG_0913.jpg

(佐藤さんが約2歳の頃)

そんな前向きな仙務さんですが、子どもの頃はあまり外には出してもらえませんでした。外に出れたとしても、お年寄りから「かわいそうだね」と言われたりしたそうです。そのとき、「僕はかわいそうなのか」と考えさせられました。

仙務さんが小学校に上がる時、兄たちの姿を見ていて「自分も普通の小学校にいけるかな」と密かに思っていました。しかし、実際は行けませんでした。
5歳の時にお母さんにその理由を聞きました。お母さんは「東海市では認めてもらえなかった」と寂しそうに言いました。仙務さんは、その出来事が鮮烈に忘れられず、ずっと引きずることになります。「この記憶を忘れるためにはどうしたらいいだろう?」考えながら大きくなっていきました。高校生になったとき「社会に出て、人の役に立って、いろんな人に認めてもらえるようになればいいのかな」と思ってみたら、「障害が重くて、働く場所がない」と言われました。それを友人に話してみて「それなら会社を立ち上げよう」ということになって、起業しました。いろんな人と触れ合って、助け合いながら進んできました。

そして夢を持ちました。「有名人になりたい」と。

普通の小学校に上がれなかったことは、東海市から「あなたは認めません」と言われ気がしました。障害を持っている自分自身を認められなかったことを、有名になることで叶えたいことができたのです。
著書を書き、「寝たきり社長」として活動し、いろんな人と繋がって有名になって行くこと。講演活動を行うこと、ボランティアをすること、いろんなことにチャレンジしました。

そして、2016年「東海市のふるさと大使」になれました。
やっと「東海市に認めてもらえた」と思えた証になりました。

14939362_1141489355946143_7570024417864458715_o.jpg

(東海市ふるさと大使大使・委嘱式)

5歳の時、障害のために普通の小学校に行けなかった、市に認めてもらえなかった、と聞かされた衝撃的な出来事から、やっと解放されました。

有名になったことで、「東海市ふるさと大使」になれました。
佐藤仙務の夢が、1つ叶いました。

14650760_1120410231387389_7565332197259411969_n

(朝日新聞・東海市ふるさと大使委嘱の記事)

活躍は、これからもまだまだ続きます。
障害者のために、東海市のために、会社のために、自分のために。

(文章:朝倉美保)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です